想像力がもっとあったなら

そのいじめっ子とは幼稚園から中学まで一緒だった。少しでも気に入らないことがあると昨日まで仲良く遊んでいた相手でも谷底に突き落としたかのようにいじめ始める女の子だった。物凄く残忍でしかも頭が滅法良く運動も出来て誰も彼女には太刀打ちできなかった。私がいじめられたのは幼稚園に通っていた時家に帰るなり「もうスカートを履かない」と泣きながら祖母に訴えたらしい。祖母は理由を聞くといじめっ子から母の作ったスカートに対してかなりネチネチと嫌味を言われた(らしい。全然覚えてないのだが。)みたいでかなり傷ついた私は小学校時代一度もスカートを履かずに過ごした。
小学校に入ると更にいじめは陰湿化し、独裁者のようになっていった。いじめは日替わりの日もあれば数日続く日もあり、要はその子が「飽きるまで」続いた。ターゲットが日替わり定食風にコロコロと変わっていく。いじめられたくはないが「またか」という気持ちが強くなり勝手に遊びたい人と遊ぶようになった。自然といじめられる機会が無くなった。
しかし一人だけ状況が全く変わらなかった女の子が居た。いじめっ子のお隣に住んでいた同じクラスの子は朝学校に迎えに来るいじめっ子の服装を2階の部屋の窓から見てその日の自分の服装をその場で選んで着たらしい。いじめられたくないから気に沿うような格好(相手がズボンならズボン。スカートならスカート。)を毎日神経をすり減らして選んでたのだ。その子はいつも隣にいていわゆる「太鼓もち」の様な役割をし、いじめに参加しつつも「自分もいつかいじめられるかもしれない」という恐怖に毎日に怯えていたのだ。しかも6年以上。ある日PTAがあったときこの女の子の親はいじめっ子の親も居るその席で訴えたそうだ。「娘は毎日毎日あなたの娘さんに気を使って生きている、なんとかして欲しい。娘がおかしくなる。」と。
私が随分大きくなって母親から聞いた話でびっくりした。全く思いもしてなかった話だ。なんて悲しい話なんだろうと思った。皆の前でいじめられているよりももっと悲惨だったんじゃないのか。自分を守るためいじめられないように神経を尖らせて毎日毎日顔色を伺って過ごした6年間。

なんだか書いてて辛くなってきちゃったな。
ちなみにいじめっ子は大学で教員免許を取って先生をしているそうです。これには驚いたが。
昨日読んだ本から考えさせられました。お薦めはしませんが傑作です。
人はどこまでが罪になるのか。

The Girl Next Door

The Girl Next Door