世界フィギアスケートと自殺について

フィギュアスケート世界選手権を観ててオリンピック後の影響をモロに感じた。
今日は女子SPを観てて思ったのが完璧に滑るところしか今シーズン見たことのないキムヨナの凡ミス。あれっどうしてここで?というところでのミスは本人も「信じられない」と演技後インタビュアーに答えていた。信じられないだろうなあ。キムヨナは点数取りだとか面白みがないだとか言われてるけれども演技を完璧に滑ることが出来る人。出来て当たり前が出来なくなるのは練習不足や燃え尽きたとか疲れとか考えられる。大変だったと思う金メダル獲得後の生活。キムヨナだけじゃなく他の選手にもそのような感じを受けた。オリンピックって怖い。
逆に浅田真央長洲未来は高得点を出した。精神面でも肉体面でもこの2人はコントロール出来ている。強さを感じた。自分との戦いだけど周囲が注目している花形選手となると競技以外での面倒もあるだろう。そこも含めてコントロール出来た人が勝ち進んでいくのが勝負の世界。16歳の長洲未来が憧れの浅田真央に追いついた喜びは大きい。明日のフリーが楽しみだ。


話は全然違うのだが自殺するしない自由は確かにあると思う。前までは自殺は絶対ダメと思ってた。おせっかいながらも自殺願望のあるひとの話を長々聞いたりしたこともあった。身内に自殺者が居た場合残された家族の悲しみは計り知れないし、恋人や友人も辛い思いをしなければならない。年月が経ったからといって薄まるような事でもない。何故あのとき気が付かなかったとか助けてやれなかったのかとか。でも死んでしまえばそこでお仕舞い。お仕舞いなのだ。本人がこの世から居なくなって居る人が後悔したり自責の念に苦しむしかないのだ。生きていくのはそんなことも引き受けての「生」であり自分もいつかはどんな形であれ「死」を迎える。生き方は思い通りに出来ない人が大半だけど死は等しく一緒。死を思いながら生を感じて生きる姿を目にしてふとそう思った。